争いを起こさないための考え方[先人の教えと常識のバランス]

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すべての争いごとのもとになるのは何だろうとひも解いてみると、どうやら善悪の基準とか正義とかそういったことらしかったです。

またその善悪の区別や正義といったものには、本当に正しいひとつというのはおそらく存在しなくて、この理論ではこう考えるのが正しいとか、そういったものらしかったのですね。

たとえば科学とスピリチュアルを例にとると、共通するところもあればお互いに否定しないと成り立たない部分もあって、そういうのが許せない人は許せないのだろうと思います。

そうなると争いが起きてしまう原因にもなるわけで、正しさを主張し合うことが争いの種になると、それは宇宙が始まったときから続いている絶対的な法則なのだろうと思います。

争いが起きない考え方の基本

完全にゼロは難しいと思うのですが、なるべく争いが起きないためには、その場にいる人たちで共通認識を持って守っていることが必要になってくると思っています。

その場において既に決まっているモラルとかマナー、ルールといったものがとても重要で、それが守れない人がいるとこちらの身が持たないので、なるべく距離を置く必要性が出てきます。

暗黙のルールやマナーみたいなものが、世代や立場、タイミングによっても異なってきたりするので、それをどれだけ理解して歩み寄れるかも大事と思いますが、器用な人以外はストレスになるので基本しなくて良いです。

またルールやマナーを無視する(できる)存在と遭遇した場合もなるべく関わらない、近づかない、遠ざけるといったことも、解決できないような大きな争い、間違いが起きないための考え方の基本です。

争いが起きない考え方の応用

上記のアプローチでは、生活する場所が変わって付き合う相手が変わるとルールを学びなおさないといけない大変さがありますし、すべてに合わせ切るのは不可能という欠点があります。

そこで世界的に広く一般的に通用しているルールやマナー、つまり先人の教えを学んで、基本はその一般的なルールを適用するのが善しとされています。

世界に広く共通する先人の教えとは、たとえば仏教やキリスト教といった宗教とか、柔道や剣道みたいな武道とか、いま流行りつつあるのかもしれないモンテッソーリ教育とかもそうじゃないかと思います。

考え方の基準を身に着けることでブレない軸を持って、争いが起きるにしてもパターン化されてストレスが軽減されますし、状況に応じた対応もしやすくなるのではないかと思います。

より厳しい教義の元に暮らす

たとえば背筋を伸ばした方が良い(美しく見える)教義とそうでない教義では、美しさの面で前者が強く、後者は悪い印象を持たれるので弱いです。

仏教ではお寺にこもって修行をしますし、精進料理を食べますし、本当に毎日そういう生活をしているのかと疑いたくなるくらい、規則正しい生活をされています。

お経を唱えて、仏教の教義について日々学んでいくわけですが、単に欲を満たすためにする行動など、ほとんどないと言っても過言ではないのではないかと思います。

しかしその教義、先人の教えを守ることで自分を律することができ、内面も外面も争いを避けることができて、平穏な気持ちで毎日を過ごすことができるようになると思います。

感謝と謝罪に関する考え方

より良い人間関係を保っていくためには、あいさつはもちろん、感謝とか謝罪の言葉や態度というのは必ず必要になってくるものと思います。

感謝するときは本人に直接伝えるのも良いですが、それをその後の態度とか行動として表していければ、世の中のためにもなりますし、何かしてくれた本人も良かったと思えるのではないかと思います。

謝罪については相手のために謝るので、世の中の常識と照らしてあれは悪かったと、その迷惑をかけたかもしれない相手に謝るべきで、自分の基準で謝るのでは意味がないと思います。

自分の感覚ではなく世の中の常識の尺度で考えるところがポイントで、さらに言うと相手が何かしてあげたとかされたと思ってない時点で感謝を伝えたり、謝ったりできたらベストだと思います。

受けた教育で付き合いやすさが決まります

たまに自分の尺度でしか物事が考えられず、しかも何を言っても怒るみたいなタイプの人っていまして、そういう人とは付き合うのが大変難しいと言えます。

おいしい焼肉と言っても、人それぞれカルビとかロースとか思い浮かべるものが違うように、人それぞれ自分のフィルタというものをもって会話や行動をしています。

こういうのを好みとも言うけど「バイアス(認知のゆがみ)」といいまして、第一印象が良い人はずっと良く見えたりすることを言いますが、そのバイアスがゆるい人もいればきつい人というのも世の中にはいます。

たとえば世の中悪い人だらけですよという教育を受けて育つと「敵意帰属バイアス」という、他人の心にある悪意だけを見るような性格になるのですが、それは上記のような付き合いづらい人になってしまいます。

帰属バイアスについて(Wikipedia)

まとめ

平穏無事に生活するためにはみんなでルールを守らないといけない、でもすべてのルールに合わせるのは大変なのでより一般的で、なおかつ厳しい教義のもとに身を置く必要があると考えました。

各々に考える道があると思いますが、大切な家族や隣人と同じ考え方であれば、お互いに干渉しあうことが少なく、円満な関係を築けるのではないかと思います。

その教義を正しく学んで実践していくことで、どこへ出ても恥ずかしくない、延いては立派であると言われるような人になることができるのだろうと思います。

人と争いを起こさないためには、最初から自分を厳しく律することが平穏をもたらすのだろうなという結論、でもすべてについて言えますが、ほどほどにとかある程度許容してというバランス感覚も大事なことと思います。

モラルはルールよりも強いことについて書いた記事はこちら

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